弘前誕生のルーツ!?堀越城とは?

歴史を学ぶ

 弘前市の南部にある「堀越城跡」。弘前城の4分の1のサイズで、一見地味な史跡です。しかし、この小さな城跡には、弘前市誕生のルーツがあるのです….!

堀越城とは?

 堀越城は弘前市堀越にある城跡で国指定史跡「津軽氏城跡」を構成する遺跡の一つです。この史跡は、津軽一円を領地としていた津軽氏とゆかりのある場所で構成され、堀越城のほかに桜で有名な弘前城、津軽氏が誕生したといわれる鰺ヶ沢町の種里城などがあります。そのうち堀越城は文禄3(1594)年~慶長16(1611)年に津軽氏が居城として利用していたものです。

堀越城の役割

津軽統一を成し遂げた津軽為信

 もともと津軽氏は今の青森県・岩手県を支配していた南部氏の支族「大浦氏」で、弘前市立津軽中学校があるあたりにあった「大浦城」を居城としていました。しかし南部氏に謀反をするために堀越城のさらに南、「大仏ヶ鼻城(石川城)」と弘前市和徳にあった和徳城を1日で攻め落とします。その時、近隣にある堀越城が弾薬庫や基地として利用されました。その後、津軽の領有が認められ堀越城へ引っ越しを行いました。

弘前城との関係

 津軽を統一した後、領地がいままでより増えたため、堀越城では手狭になりました。また、堀越城は平城(平地にある城郭)なので、防衛上の懸念がありました。そのため、守りやすく風流的に最適といわれた高岡(弘前の旧称)に移転しました。弘前城と堀越城では、面積が違いますが、堀越城で城のつくりをデモンストレーションし、それを弘前城の築城に利用したともいわれています。弘前の町づくりは堀越から始まったと言えるでしょう。

廃城、そして現在

 堀越城は津軽氏が去った後は家臣が守っていましたが、一国一城令により廃城されました。その後は農地や神社、児童館など時代に応じて様々な使われ方をしましたが、本丸などは当時のままの構造で残されるなど地域住民に大切に扱われてきました。1970年代には、城郭の真ん中をバイパスが通ることとなり発掘調査が行われ、その成果を反映してか1985年に国指定史跡となりました。現在は追加の発掘調査ののち、遺構整備が行われ一般公開されています。

まとめ – 堀越城の魅力

 堀越城は規模が小さいですが、復元工事により土塁や堀が当時の状態に復元されています。また本丸には桜が植えられており、春はお花見を楽しむことができます。内堀には水を湛えているので、花筏を見ることもできます。見学は無料なので是非足を運んでみてはいかがですか?

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